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アラフィフダイエット

1年後10㎏痩せて健康にキレイになりたい、アラフィフの日常。食事 運動 時々旅

日本の療育は発展途上

目次

今の私


 私は 現在発達障害の子どもたちが通う施設で保育士として働いています。きっとグレーゾーンであった自分が 保育 療育をするなんて

信じられませんが 最近になって 療育を勉強し始めて 自分の知識のなさや間違ってた認識に気づいて 関わり方を少しずつですが 変えてみたところ 子どもたちとの距離がとても近くなった気がしています。もっと早く学ぶべきでした。

時代遅れの療育

日本の発達支援は先進国の中では 30年ほど時代遅れらしいです。確かに 私の通ってた小学校だって 誰の目から見ても明らかな子どもしか支援学級(以前は複式学級)入れなかったし

市内の小学校すべてに支援学級が配置されたのは 本当に最近ですし、就学前の子どもたちが療育を受けられる場所は増えてはいるものの、その質を問われると これで良いのだろうか?と疑問を抱かざるをえない所もあります。

今の理解のままでは

自己否定 自己肯定感の低い子どもが 定型発達の子どもたちや先生の中に入り、「皆と同じように」と言われながら 過ごすことが どれだけ苦痛か想像できるでしょうか?


きっとグレー - 45歳からの大人チャレンジ

みにくいアヒルの子の話を知っている人は多いと思いますが、親からも その育てにくさから 満足のいく愛情を注いでもらえず、幼稚園 保育園 学校等の集団では 周りについていけず

怒られ 注意され もっと頑張りなさい 努力不足だと言われ、孤立し…

安心できるところがない  せめて家がだらしなく帰れる場所であればよいけれど そうでなければ 辛いだけの毎日だと思います。

国はインクルーシブを進めていこうとしている 多様性を認めながら 誰もが生き生きと共生できる社会へと

理想ですよね そんな世の中になったら素晴らしい。しかし つい最近まで 分け隔てて生活してきた者が 周りの理解なしに飛び込んでいけば 必ず溺れます。

その時にどのくらいの人たちが 救いの手を差しのべてくれるだろうか?

前のブログにも書いた通り 子どもたちは いつの時代も意外と残酷です。

発達支援の場でなくても 虐待や虐め それを隠蔽する社会です。

違いを受け入れ、尊重し理解し共に生きていく 実現するためには まだ時間が必要かと思います。

少なくとも 発達支援に関わる人たちが、発達障害の特性理解やその子(個)の発達に合わせた関わり方を学び続け、発信していかなければならないと感じています。

どんな支援方法があるの?

支援の方法は、色々あります。
TEACCH(コミュニケーションとそれに関連することにハンディを抱える子どもへのケア及び構造化)
ABA(行動応用分析)
SST(ソーシャル・スキルトレーニング)

感覚統合 等 色々ありますが どれが正解というものはなく その子にあった方法を試行錯誤しながら探り これなら出来るということを保護者 や本人と一緒に探っていくという感じです。

発達支援の専門家は少なく 私の職場は

ST.OT.PTの他は児童発達管理責任者と保育士で これまでのケースから学びうまくいったことや 先生方の経験 成功体験の中で行っていることが多い気がします。

知りたいのは目立てと手立て

 

困った子は困っている子(保護者)なのに

適切な支援が行き届いていないのが現状だと思います。


自閉症支援の構造化も、真似はしているけれど、その子にとっての必要な構造化、再構造化はされていないことが多いです。
支援者は少し学んでいますが、
大事な家庭では、親が学ぶ術がなく構造化は、ほとんどされていません。


視覚優位の特性と、しっかり決まっている、見通しが立つことを好む自閉症に対して、物事などを、スケジュールやラベル、手順書などを使い、解るようにする方法で、「ひとりで出来る」ことを増やしていく自閉症児者への重要な支援、配慮です。
「何度も言ってもわからないから、怒鳴って、叩いて、教えている」という親は多いのです。
世界的に認められている支援なのに。日本では正しく理解している人も指導者も少ないのです。

保護者が知りたいのは、適切な評価(目立て)と支援の方法(手立て)だと思います。
なのに指導者がいないから、親が指導しようとして、逆に不適切な指導をしてしまう場合があります。力が入りすぎて、子どもがストレスで二次障害になる場合や、誤学習してしまうことも。

障害特性は直すことは難しいけど 関わり方を工夫することで、子どものストレスによる二次障害や誤学習は防げることを 自分も含め発達支援に関わる人たちには是非知ってもらいたい。