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アラフィフダイエット

1年後10㎏痩せて健康にキレイになりたい、アラフィフの日常。食事 運動 時々旅

発達支援が必要な子どもだった自分へ

目次

誕生

この頃の 自分はあまり記憶には残っていない
後々、母から聞いた話も交えてだけれど、私は正月三が日に誕生した。父は その頃は仕事だったのか、出掛けてたのか定かでないが、今のような、立ち会い出産のようなものはなく、かなり 心細かったと思う。 しかし 初孫ということで、それはそれは 祖父母には可愛がられたようだ。これも後に聞いた話だが、琴美か淳子と名付けようと決めていたらしいが、生まれたての私を見て、琴美では名前負けすると思い、淳子になったらしい…失礼な親だ。

嫁VS姑1~2歳頃

今でも この問題は根強く残っているが、昔は本当に大変だったらしい。母はよく辛抱したと思う。尊敬する。私だったら 即 離婚だろうなというエピソードがいくつもあった。
全く 記憶にないが 哺乳瓶のミルクの温度を確かめるのに祖母が飲んだとか、離乳食は祖母が噛んであげてたとか(おえーっ) とにかく 母が 思うような子育てが出来なかったと言っていた。

弟 誕生

私には二歳下の弟がいる。 この弟が産まれる時にも、祖母は 淳子は家に置いていけと言っていたらしい。それで 置いていかれたのかは覚えてないのだけれど、弟も1月に産まれた。

まぁ 私とは大違いで、産まれたときから可愛くて、病院の看護士さんたちから大人気だったらしい。

母も 私は祖母に取られたみたいな感覚があったらしく、弟は 取られてなるものかと、若い母なりに頑張っていたようだ。

弟への嫉妬心 3歳頃

何かと甘やかしてくれる祖母は、あの頃の私には、居心地が良かったのだと思う。だから 躾 だと厳しく育てようとする母よりもおばあちゃん子になっていった。そんな私を、母はきっと可愛く思えなかったのかもしれない。
幼心に、「母は私よりも弟の方が大事なんだ」と 感じていたのだと思う。

あの頃の私へ

母は 祖母をウザイと思っていたかもしれないけれど、あなたにとっては 無条件に愛情を注いでくれた人がいて、良かったと思うよ。
もし祖母がいなかったら、何をやってもトロいあなたにイライラする母や可愛くて 何をしても器用にこなす弟の姿を見て、私はダメな子なのだと、もっと 自己肯定感の低い子になっていたかもしれないからね。
母も初めての子育てと姑さんとの中で 分からないこととか沢山あったんだと思う。
それでも 育ててくれたことに 感謝するのですよ。