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アラフィフダイエット

1年後10㎏痩せて健康にキレイになりたい、アラフィフの日常。食事 運動 時々旅

みんなと違う?

 

 

幼稚園

3歳の頃から 幼稚園に通い始めた

キリスト教の幼稚園で 毎日 お祈りをしたり

クリスマス会は 特に盛大にお祝いしていた

小さい頃から、歌や踊りは好きで、そんな時間は楽しく過ごしていたのだけれど、今でも思い出せるくらい大嫌いだったのは、運動会

どんなに頑張っても 皆のように早く走れない

自分だけがスローモーションのようだった

そして 制作の時間  折り紙を折って、切るとお花になるっていうもの。皆はどんどん お花を作るのに、何回切っても バラバラになってしまう… あの時の 担任の呆れたような顔は

今でも 覚えている。

週末の楽しみ

週末になると 母は私と弟を連れて、祖母の家に言っていた。同居ではなかったものの 毎週子育ての方針が合わない姑と顔を合わせるのは 内心どんなものだったか今では察することが出来るが、その頃の私は ただ楽しみでしかなかったと思う。だって 何でもやってくれる人が いるんだから、楽チンだもの

実は療育だった?

その頃 祖母は大成道路?という大きな車の工場なのかな みたいなところの食堂で働いていて 私はよく そこに遊びに行っていた。

そこでは祖母と同じくらいの年の方が 何人か働いていて、皆さんが 幼い私に とても親切に関わってくれた。時には お手伝いで食器を洗ったり、テーブルをふいたり、したこともあった。外でよもぎを摘んで、草団子を一緒に作って食べたこともあったな… 

そして そこには事務で働いていた女性(お姉さん)がいて 休憩時間などに お絵描きをしたりして一緒に遊んでくれる人がいた。

その方とは 今でも 繋がっている

多分 こんなお姉さんが幼稚園の先生だったらいいのになって 子ども心に思っていたかもしれない

可愛い弟と可愛くない自分

年長になると 弟も幼稚園に通うようになった

弟は憎たらしいけど、本当に育児本から飛び出してきたような とっても可愛い男の子だった。それは先生たちにも 可愛がられただろう

落ち着きのなさ=活発 好奇心がある ということで、幼稚園の頃の弟は 足も早いし 制作だって皆と同じように出来るし 周りからも可愛がられて  羨ましかったというような可愛い感情とは違う 妬み よりも なんだこいつみたいな思いがあったのだと思う。

幼稚園の頃の自分へ

周りと自分との違いに、気づきはじめて、辛かったね。あなたの 幼稚園は訓練の場だったのだと思って 本当の療育の場は あの祖母の職場で先生は祖母の仲間やお姉さん。そこで好きなことや面白いと思うことを、楽しみながら経験させてもらって、誉めてもらって そこでは皆にいいこだね 可愛いねって言ってもらえて、ちょっと 自分に自信を与えてもらえて

辛い幼稚園でも 頑張れたのかもしれないよ

ここでも 母に感謝  車の免許もなかった頃

自転車で遠いところまで 連れていってくれてた。時には バスで1人で行かせてくれたこともあったっけ…可愛い子には旅をさせろって

母は あなたのこと可愛くなかった訳じゃないんだよ  母になった今ならよくわかるね